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北海道の北見の名産品で知られる薄荷とは?

北海道北見市の名産品で知られる「薄荷(ハッカ)」は、食品や医薬品、虫よけ、 アロマオイルなど
様々な製品にも使用される、メントールの香りが特徴的なハーブ の一種です。

メントールの香りと言えば「ミント」が広く知られますが、実は呼び方の違いだけ
で英語ではミント、日本語では薄荷と、メントールを含む同種のハーブです。

また、ペパーミント等に代表されるミント自体も外国産のハーブという
イメージが 強いと思いますが、日本にも「ひめハッカ」などの在来種のハーブが存在します。

北見の薄荷栽培と歴史

北見で薄荷の栽培が本格的に始まったのは1896年(明治29年)で、
北見市から車で 1時間ほどの所にある「湧別村(現在の湧別町)」で
薄荷を植え付けたのが始まりと 言われています。

もともとこのエリアにも野生種の薄荷は原生していましたが、
植え付けた薄荷は野 生種の2倍の収穫量となり、徐々に薄荷栽培が活発になっていきます。

その後の1902年(明治35年)には湧別村から北見へと薄荷の苗が移入し、
北見でも 本格的な薄荷栽培が開始、
1911年(明治44年)には全国の86%を占める生産量にま で発展します。

しかし、その後は第一次世界大戦や関東大震災などの影響もあり、
薄荷価格の高騰 や下落を繰り返すことで薄荷栽培も衰退していきます。

薄荷の復活と世界一のハッカ生産量へ

 

昭和時代に入ると薄荷の価格も高値を取り戻し始め、
1933年(昭和8年)には北見 市に「ハッカ精製工場」が
建設されることで、近郊農家も薄荷の栽培に集中し始めることとなります。

そして1939年(昭和14年)には、北見市の薄荷生産量が世界の70%を占めるまでに
成長し、北見市は薄荷王国としてその名を知られることに。

しかし、再び太平洋戦争や第2次世界大戦の影響で薄荷栽培は中断となります。
ハッカ工場の閉鎖から加工品販売の時代に 戦後は薄荷栽培も復活したものの、
今度は薄荷の輸入自由化や中国産薄荷の台頭に よって苦戦の時代に突入します。

1983年(昭和58年)には残念ながらハッカ工場も閉鎖となりますが、
安価な薄荷が 流通し始めることで薄荷の加工品の需要が増加し、
北見市も薄荷製品の製造販売に 力を入れることになります。

1986年には旧薄荷工場が「ハッカ記念館」としてオープンし、
2002年には「薄荷蒸 留館」が併設されるなど、
かつての薄荷王国としての姿とは違った形で「薄荷」と
いう特産品を発信しています。

薄荷の紅茶なども販売されています。

身近に親しまれる北見の薄荷製品へ

北見の薄荷に関連する歴史は繁栄と衰退を繰り返すことで現在に至りますが
、北見の天然ハッカは今も大事に栽培され続けており、
近年では色々な雑貨品も作られる など、再び北見の薄荷が認知され始めています。

中でも北見の天然ハーブは、かつて世界一の生産量を誇っていただけでなく、
世界でも評価されるハーブでもあります。

薄荷は料理へのアクセントや涼やかな香りを楽しむだけでなく、
殺菌効果や花粉症 対策、リラックス効果など多の効能に期待ができるハーブですので、
今後も北見 の薄荷が活躍していくことでしょう。

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